救助信号数: 最後の救助信号から消灯までの時間(秒): スクロールまでの時間(秒): スクロール速度:
Titanic return
「あの感動をもう一度」
1908年
タイタニック の造船が、アイルランド、ベルファストにあるハーランド
&
ウルフ造船所で開始される。
1911年
5月31日、タイタニック号が無事、初進水する。装備に10ヶ月を要した。
1912年
4月10日
AM
9:30〜11:30 乗船客がサウサンプトン港に到着、タイタニック号に乗船。
PM 6:30 タイタニック号、フランス、シェルブール港に到着。
PM
8:10 タイタニック号、アイルランド、クインストーンに向けて出航。
4月11日
PM
1:30 アイルランドのクインストーンを出航。
4月14日
AM
9:00
カロニア号よりタイタニック号の進路前方に氷原ありとの警告が入る。
AM
11:20
2つの大氷山を通り抜けたドイツ船,アメリカ号が,
北緯41度27分、西経50度8分に「大氷山あり」の警告をタイタニック号へ送る。
AM
11:40
オランダ船ノールダム号から、カロニア号の警告地と同じ場所に「氷山多し」との警告を受ける。
PM 1:42
バルチック号から
「北緯41度54分、西経49度52分、タイタニック号の前方250海里(約463キロ)の地点に氷山および大きな氷原あり」との警告を受ける。
PM
7:30
ハロルド・ブライド通信士、大氷を警告するカリフォルニア号からの無電を3回傍受。
(北緯42度3分、西経49度9分)、ブリッジに報告。
PM 9:40
メサバ号からの大氷警告を受信する。
PM
10:55
カリフォルニア号が氷原の中で立ち往生し、周辺一体を航海する船舶に対して氷山警告を送る。
カリフォルニア号の無線士がタイタニック号に警報を送る。
PM
11:40
フリークが肉眼で船の直進方向に徐々に大きくなる黒い物体を発見。
1等航海士マードックは肉眼で氷山を確認した後、衝突回避を命じる。
氷山は船体の右舷にぶつかり、船腹をなぞるようにかすめて通りすぎる。
氷山との衝突地点:北緯41度46
分、西経50度 14分
4月15日
AM
0:00
ボックスホール4等航海士とトーマス・アンドリュースが被害状況を点検する。点検後、アンドリュースはスミス船長に沈没まであと1時間ないし1時間半と報告。
AM
0:05
乗務員と乗客をデッキに集合させるようにとの指示が出される。
AM
0:15〜2:17
オリンピック号(約500海里)を含む多数の船がタイタニックの遭難呼び出しを傍受。
マウント・テンプル号(50海里)
バーマ号(70海里)
カルパチア号(56海里)
パリジャン号(50海里)
フランクフルト号(140海里)
AM
0:45
最初の救命ボート右舷7号ボートが海上へ降ろされる。救助を求める最初の発煙ロケットが発射される。
ボックスホールとロウ航海士がライトでカリフォルニア号にSOSのモールス信号をおくる。
AM
1:15
船は左舷に大きく傾き、甲板の傾斜も急角度になる。
AM 2:10
スミス船長、乗務員全員に「自分のために行動せよ」「イギリス人らしく」と告げ、ブリッジに戻って最後を待つ。船の建造者トーマス・アンドリュース(ロード・ピアーの甥)の最後の姿が目撃される。
バンドマスターのハートリーがオーケストラメンバーに解散を促すが、全員が演奏を続ける。
AM
2:18
船内の明りが全て消える。
AM
2:20
沈没
こちらの作品はあやなおたかしゅんさんが特別に改良したものを私に送って下さいました。この他にも素晴らしい作品を発表
されています。現在ではこの方を知らない人は居りません。好意的にして頂けるので大変勉強になっています。桁外れの
技術力をお持ちで、このような方にめぐり逢えたのが最高に幸運でした。パソコンをやって行く以上欠かせない先生です。
本来ですと電子メール用に投稿するため作られたものなのですが、HP開設当初ご挨拶のところに使わせて頂いたのがきっけ
でそれ以後色々と教えを頂いています。あまりにも技量の幅がありすぎるもので100万分の一しか分かりませんが、これから
の作品作りに役立てたいと思って居ります。ちょうど此処らで船舶の明かりが消えます。(川和田様)