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2014年の正月

青木茂元豊橋市長・豊橋市名誉市民)のお孫さん(青木美和さん…アメリカ在住でジャンボジェット機機長と、青木尚美さん(シラキュース大学で行政学博士号取得。現在、シンンガポール・Lee Kuan Yew 大学院大学で行政職を教えている。)の2人が一時帰国した。
両親は、アオキテック技術事務所所長青木尚夫さん(元青木茂豊橋市長の長男。大阪大学卒業。元トピー工業特任部長退任後 高技術分野起業趣味の囲碁もデータ提供。)と、妻の美保子さん(当時の豊橋工倶西嶋鉄工所西島吉太郎氏の長女)。

その切っ掛けは、帰国前に祖父をインターネットで探したところ「青木茂豊橋市長の生涯」のサイトを見つけたことによるとのこと。
両親に話したところ、前年の2013年12月12日に青木尚夫さんから小澤紀明宅に電話が入る。
思いもよらない2014年1月5日、招待を受け半日懇談をする機会を得た。
青木宅へは、当初「渥美線」を利用しようと思っていたが、前日「東京・有楽町」付近で火災があり新幹線が止まってしまうというハプニングがあり時間があまり取れなくなったとのことで、次女の夫の世話になり「アオキテック技術事務所所」宅まで急遽送ってもらった。

私からは、青木茂助役の三河港造成計画構想を青木学校の優等生(市係長6人、民間1人、全員30才代)が、その構想を手作り図面に描いていく
その構想は、神野太郎氏(東三河開発研究会会長、豊橋商工会議所会頭、中部ガス社長)が委嘱した日本の最高権威に委嘱した専門委員)並びに、関係各省の中堅クラス20人を委嘱配置したそうそうたる陣容から指導を受け肉付けをしていく。

時は、高度成長期と重なり田中内閣の「新産業都市指定」構想と重なり、日本が元気さを求めて成長する時期とも重なった。
豊橋市長河合陸郎氏や愛知県知事桑原幹根氏の力も借り、中央省庁や全国の衆参議員、愛知県、同議会等への陳情・説明。
更に、豊橋及び東三河の全市町村、議会、商工会議所、同議員、豊橋校区の社会教育で連日連夜の説明会開催。(※都市空間の整備の方向の回顧編参照
以下略。

美和さん達にとっては、忙しい時期ではあったが、私にとっては思いも寄らないお年玉であった。
当日、クリアファイルに10項目程度(中には目次のみのものも有り)の思い出の資料をプリントアウトし4セット作成し、3セットは尚夫さん宅、と美和さん、尚美さんに渡し楽しいひと時を過ごすことができた。
スマホやタブレットを持参したが、直ぐ出ず皆さんのカメラで記念写真を撮って頂いた。

時間は、アッと言う間に過ぎ自宅へは皆さんが見送りしてくださり、父「尚夫」さんの運転で次女の尚美さん(シンンガポール・Lee Kuan Yew 大学院大学で行政学を教えている)が同乗し自宅まで送って頂いた。
道中、講演会やいろいろな会話をした。特に講演について聞かれたが次期市長時代になり、ことごとく邪魔され無かったと答えた。2015年安倍総理がアメリカ上下議会合同議会で講演した報道を知り俄に青木市長時代の職員研修(100人以上90分×2日)で議会制度について講義したことか甦ってきた。

当時帰宅後、青木元市長が言っていた豊橋・浜松について調べたところ豊橋が上品で優れた着実な構想力を持っているかを今更ながら再認識した。

美和さんは、当日米国でジャンボジェット機の機長さんと結婚されることを話された。
尚美さんは、祖父「茂氏」と同じ道を進むと言われた。
直ぐ浮かんだのは、青木茂氏が台湾で逓信部から一般行政部門へ転出し海南島駐在事務官になった時のこと、東大の学徒主計中尉から聞いた「ニイタカヤマノボレ」1946年)の話しである。
聞けば、シンガポール大学院大学と東大は提携大学とのこと。
親としては、残る1人娘はせめて日本での大学で教鞭を願っているのではないかと感じた次第。

当時、豊橋市の大主任に付いてもお孫さんにも話す。この時「尚夫さんの名付け親」が高橋衛元経済企画庁長官(当時の台北州知事)だったことも披歴された。
もう一つおまけ:検索で発見(特任部長)
長大橋 トピー工業技術者 青木尚夫

2014.10月 中学校同窓会の通知があり、その時新聞発表前に「西島篤師」さんの訃報を聞く。
青木美和さんが急いでいた様子のことと、今にち「新幹線のひかり」が豊橋に停車することを非常に喜んでいたことに一つ心に引っかかっていた。それほど時間が経っていたことを改めて知った。

2015年のお正月に美和さんに男の赤ちゃんが誕生したとアオキテック技術事務所所長青木尚夫さん宅に里帰りしたとアオキテック技術事務所所長青木尚夫さんから、私が窓の会12月例会で「もし青木茂氏が豊橋への道を選ばなかったら(推理編)投稿したと知らせたところ、返信メールでお知らせ頂いた。
「西島篤師」さんの訃報のこともあり、賀状も躊躇していたが別に知らせも無かったので会社名で賀状頂いたのは配慮されていると改めて感じた。

また返信には、いつの日か電子出版のみならず製本化されてもと存じます。
美和と尚美にも小澤さんのメールを転送させて頂きます。とありました。
青木尚夫と豊橋技術科学大学 (2015.1)

2015.7.28 主な電子出版の目次を青木尚夫宅に届けるとメールを出し伺うと、
シンンガポール・Lee Kuan Yew大学院大学で行政学を教えている青木尚美さんが一時帰国しており
東日本大震災の被災地を各国の人達を案内した様子を話してくれた。
私のサイトにもニューユークタイムス等の記事や写真が載っているが言うのは忘れてしまった。

語り継がれる地震内にも、ニューヨークタイムス編(震災前後)  ニューヨータイムス写真編  写真特集(日本)日本の原発事故についてのお知らせ(英国大使館他を.記載。
Translation and pronunciation
 oogle(翻訳と発音) 


日本の政治体制などを各国の人は、民主主義国家では何と手続きなどに長き期間を要するなのかと言う事を感じ取っているようす。

青木尚夫・美保子宅には、長女が出産した男の子とジャンボジェット機長の夫婦の写真や、毎年正月には家族全員寄り合うとのこと。

海外にいても、変わりばんこ「ちょくちょく帰ってくるとは」羨ましい限りであります。

公共政策大学院での紹介

シンガポール リークアンユー公共政策大学院(日本再建イニシアティブ)

シンガポール リークアンユー公共政策大学院 東日本大震災被災地視察

シンガポール リークアンユー公共政策大学院(日本再建イニシアティブ) 日本サイト利用状況

◇ 2015年(節目の年)の出来事 

2016年青木尚夫宅に伺ったのは、主な電子出版の目次を3部ほど届けるのが目的だった。その時、大学院大学の先生が学生さん達を東日本大震災地を案内してきたところと帰宅しており話がはずむ。今シンガポールの大学院大学生は小澤さんのサイト多くの学生が見ているとのこと。

その後、青木尚夫さんとメールのやり取りで次女の大学院大学の先生は、京都大学出の方と結婚されたと言い。更に世界的コンサルタント会社の一つで「アクセンチュア」という会社の日本支社にこの(2017年)4月から転職することになりまして、主に官公庁の企画、計画のお手伝い、コンサルが主な業務内容とかで、尚美と連携しながら提案していくことになりました。との近況を頂く。

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