木助役と私小澤紀明  (三河港造成の原点)
私が市役所に入って早々、1950年に河合陸郎市長に請われ青木助役が就任するやその日の内に私を文書係に配置し(本人の台湾総督府での履歴からかと思う)、続いて1年3か月後助役秘書に抜擢、秘書在任中には本省各省や旧国鉄本社を何回となく随行した。2年3か月の在任中に「東三河地域」が工業整備特別地域に指定され。併せて新幹線豊橋駅停車実現などのほか、助役自身は三河港造成に心血を注いでいた。
続いて、区画整理課時代に都市空間の整備の方向(豊橋のまちづくり提案)は、今までの恩に対し青木茂市長に捧げる記念執筆と思っている。
次期市長によれ大変なとばっちりを受けるが第三の手法に本計画の実現で何とか日の目を見た感じがする。
母親は、死の間際に言った言葉を忘れない。
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